8.1933夏・上 吉田の夏、楠本の夏

1933夏出場メンバー
中京商 明石中
守備 名前 学年 名前 学年
吉田 正男 5 楠本 保 5
野口 明 4 福島 安治 3
田中 隆弘 4 横内 明 3
神谷 春雄 3 嘉藤 栄吉 3
福谷 正雄 4 橘 荘一
杉浦 清 5 峯本 三一 5
大野木 浜市 3 深瀬 正 4
鬼頭 数雄 4 中田 武雄 4
岡田 篤治 3 山田 勝三郎 5
榊原 明一
加藤 信夫
前田 利春
花木 昇
伊藤 庄七
4
4
4
3
3
永尾 正己
松下 繁二
田口 重雄
吉岡 辰雄
松下 宗一
影山 秀雄
3
3
4
3
 

 吉田正男は1914年生まれ。楠本と同い年である。小学校時代は一宮第四小で全国優勝。その後、東海各地から選手をスカウトしていた中京商の目にとまり入学。入学当初からレギュラーとして出場していたが、投手ではなく三塁手や遊撃手。投手として活躍し始めたのは2年からである。同級生の杉浦清は小学生時代は陸上競技が主で、出身校の梅園小の校長の熱心な推薦で入学。下級生の頃は遊撃手の中で一番下手であった。はじめての出場は2年生の6月で、レギュラーの選手が歯を折りおまけに病気になってようやく回ってきた出番であった。吉田や杉浦以外にも一学年上の桜井や恒川、吉岡などもスカウトされて入学してきた選手である。当時中京商は創設者であり校長の梅村清光の肝いりで野球場が作られ、野球部強化に取り組んでいた。相当に熱が入っていたようで全校生徒の前での訓示で「弱い野球部は解散」などと言うこともあったが、遠方から入学してくる選手を自分の家へ下宿させ、毎日のように練習に顔を出した。1929年に野球部監督に就任した山岡嘉次は3年で全国制覇を合言葉に選手を鍛え、明大監督であった岡田源三郎にたびたび指導してもらっていた。「はじめは本当に弱かった。しかし選手たちはよく努力し、激しい練習にもへこたれなかった。夜のミーティングにも鋭い質問が飛び出すなど、非常に熱心であった。」と岡田が後年振り返っている。この練習の中で中等野球では珍しかった三塁コーチからのブロックサインなどを導入し、考える野球を取り入れていった。その中で31春の準優勝、31夏・32夏の大会連覇を達成。だが32夏の大会後、チームの大黒柱であった桜井などがぬけ大きく戦力ダウン。吉田自身はコントロールも速球も更に磨きがかかっていたが、初優勝時のメンバーは吉田と杉浦のみとなってしまい打線の攻撃力は昨年までと比べ低下は否めず、吉田だけが頼りといってもよいチームに。春は明石中楠本の前に敗れ去り、ついに春の優勝は成し遂げることはできなかった。昨年までと比べ、決して良い条件とはいえない中、主将としてエースとして、吉田の最後の夏が始まった。

 三連覇を目指した中京商はいきなり予選で苦しめられる。1回戦は7対2と楽勝であったが次にあたったのが豊橋中。ここには小山常吉といういい投手がおり、前年より攻撃力が低下した打線が小山から得点することができない。両チーム0行進が続く中、コーチに中島治康(28夏松本商優勝投手―早大―巨人他)を招いている豊橋中は吉田を攻めていく。七回、無死一二塁。打者は5番と吉田がピンチを招く。5番打者が左右間に大飛球を飛ばした。点が入るかと思われたが、中堅手の鬼頭数雄がスライディングキャッチのファインプレー。すんでのところで失点を防ぐ。すると8回、中京商が相手のエラーで何とか小山から1点をもぎ取り、ギリギリのところで勝利を収めた。

 この勝利の報は校長の梅村のもとには「11対0で快勝す」と届いた。梅村はこのころ病状にあり、試合時は危篤状態であったのでとても辛勝だったとは伝えられたなかったようである。この報を聞いた校長はにっこりとほほえみ、「よし、豊橋中に大勝するようならこれで3年連続優勝はできる」と喜び、そのあとで息を引き取った。50歳没。

 吉田をはじめ中京商は喪章を腕に東海予選の決勝に挑んだ。相手は春の優勝校岐阜商。優勝投手松井相手に打線が爆発し11安打8得点。吉田も4安打に抑え込み8対0。「私たちはいま、悲壮な気持ちで戦いを続けています。中京商野球部を今日までにしてくださった校長先生のご恩に報いるには、ただ甲子園で優勝し、三連勝をやってのけることがなによりのはなむけと思っています。」と梅村校長へのはなむけのため、吉田以下選手陣は闘志を燃やして夏の甲子園に乗り込んでいった。



 明石中野球部は竹山九一によって育てられた。1923年、初代校長の山内佐太郎に請われて明石中に赴任。同時に野球部を立ち上げ、以来一貫して野球部に携わってきた。明石中のある兵庫は神戸の在留外国人の影響で古くから野球が盛んであった。野球部ができた当時、すでに神戸一中・関西学院が全国制覇を果たしており、明石中は完全に後発組であった。明石の小学生は神戸の学校へ引き抜かれており、それに対抗するため、竹山も有望な選手に対し熱心に明石中への入学を勧めた。「明石の怪童」楠本も竹山の誘いで入学した。竹山が掲げた部訓は「グラウンドは人間修行の道場である。すぐれた選手はすぐれた生徒であれ」。竹山は文武両道を選手に求め、校内テストの平均点が60点を下回れば、練習への参加を認めず、「家に帰って勉強しろ」とグラウンドから追い出し、学業をおろそかにしたものはレギュラーでも背番号をはく奪した。しかし冷徹なわけではなく、テスト前には自宅に選手を呼び個別授業。勉強に頭を悩ませる選手を助け、勉強が終わった後は食事に連れ出して好きなだけ食べさせた。本当に好きなだけ食べるので竹山の懐はどんどん心もとなくなり、とうとう給料だけでは賄いきれず、自らの米代を滞納していた時期もあったとか。それでも笑顔で食事をふるまい続ける生徒思いの教師であった。そんな竹山の努力もあり、初めて5年生まで全学年がそろった27夏に兵庫予選に初めて出場し、姫路師範から9回サヨナラ勝ちを決め初勝利を収めた。その2年後に楠本が入部。すると楠本の成長とともに、予選決勝進出、甲子園出場と成長し、32春・33春には2年連続の選抜準優勝を果たすまでになった。そして迎えた1933夏。楠本が5年生となり、竹山にとっても楠本にとっても集大成の夏である。

 明石中の楠本はこの夏、調子がすぐれなかった。脚気の兆しがあり足の調子が良くなく、おまけにわきの下の汗疹が化膿して出血しており、不調気味であった。しかし、4年生の中田武雄の成長が著しかった。球史に残る剛球投手がいたためこれまでそれほど目立たなかったが、もともと明石尋常高等小学校時代には全国優勝した好投手である。予選でも好投し、予選の決勝でも登板し育英商相手に6安打完封。この左腕の成長もあって悠々と兵庫予選を突破して甲子園に乗り込んだ。


開会式の様子。


 1933年8月12日、吉田や楠本にとって最後の夏の大会である第19回全国中等学校優勝野球大会が始まった。出場校は22校。その中にこの春まで7季連続出場を果たしていた松山商の姿はなかった。松山商は昨夏のレギュラー8人が抜けた穴が大きく、中予予選は苦戦しながらなんとか突破したものの、愛媛県予選の決勝リーグで宇和島商と松山中に敗退。四国予選にも進めずに姿を消していた。

 中京商は初戦で吉田が善隣商相手にノーヒットノーラン。三振も14奪い11対0と上々の初戦であった。ところが続く浪華商戦の3回。中堅手の鬼頭数雄の返球を三塁手の福谷が後逸。バックアップしていた吉田の顔面に当たってしまった。思いがけないアクシデントにより、吉田が負傷退場かと思われたが、浪華商側が吉田が出場できるなら待ってもよいと返答をくれた。投手を杉浦に、遊撃手に控えの榊原を起用する準備をしていたが、この浪華商の好意により、吉田は治療し再登板することができた。しかし吉田は左まぶたを3針縫うことになり、傷口をばんそうこうでとめた姿で投球することになった。負傷にもめげず吉田は投げ続け、この回と5回の2失点に抑え打線は浪華商の好投手納家の前に2安打だったが、失策を絡めて4点を奪い、辛くも勝利した。準々決勝は藤村富美男の大正中。打線は冴えず、藤村の前に2得点と抑えられたが、傷口のふさがらない吉田が4安打完封。6大会連続の準決勝進出を決めた。

33夏 一回戦

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 得点
善隣商 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
中京商 3 0 0 0 0 0 8 0 x 11
善隣商 打数 安打 中京商 打数 安打
7 李 連成 2 0 9 大野木 浜市 4 1
6 猫沖 恒義 3 0 5 福谷 正雄 5 2
3 河合 清 3 0 1 吉田 正男 5 1
8 井上 淳平 3 0 6 杉浦 清 4 3
9 西川 正一 2 0 3 田中 隆弘 3 0
-9 孔 昌淳 1 0 4 神谷 春雄 3 1
4 安田 朝男 2 0 7 岡田 篤治 4 2
-4 藤木 晴夫 1 0 2 野口 明 4 1
5 池尻 四郎 3 0 8 鬼頭 数雄 3 1
2 大井手 東人 3 0
1 川島 政勝 3 0
26 0 14 1 0 0 8 35 12 3 4 0 0 0
併殺2 残塁0
失策=李4、猫沖2、池尻、川島
三塁打=神谷 二塁打=鬼頭、福谷 残塁4


33夏二回戦

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 得点
中京商 0 0 0 2 0 0 0 1 0 3
浪華商 0 0 1 0 1 0 0 0 0 2
中京商 打数 安打 浪華商 打数 安打
9 大野木 浜市 3 0 2 北浦 三男 4 2
5 福谷 正雄 4 0 4 平井 猪三郎 4 2
1 吉田 正男 4 0 1 松広 金一 4 0
6 杉浦 清 3 0 7-9-5 中村 金次 4 0
3 田中 隆弘 3 1 8 納家 米吉 4 1
4 神谷 春雄 2 0 3 畑 寅一 3 1
7 岡田 篤治 4 1 9-7 樋上 龍太郎 4 0
2 野口 明 2 0 5 平古場 正巳 2 0
8 鬼頭 数雄 3 0 6 鳥丸 満男 3 1
28 2 2 8 2 1 1 32 7 3 2 0 0 5
三塁打=田中 併殺1 残塁3 失策=鬼頭 併殺2 残塁5
失策=北浦、平井、樋上、平古場、鳥丸

33夏準々決勝

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 得点
中京商 0 0 0 1 0 0 0 0 1 2
大正中 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
中京商 打数 安打 大正中 打数 安打
9 大野木 浜市 4 0 5 三浦 五郎 4 1
5 福谷 正雄 4 1 3 吉川 忠正 3 0
1 吉田 正男 4 1 6 柚木 俊治 4 0
6 杉浦 清 3 0 2 阿部 好春 4 1
3 田中 隆弘 4 0 1 藤村 富美男 4 0
4 神谷 春雄 3 2 4 藤原 峯登 4 1
7 岡田 篤治 4 2 7 保手浜 明 3 1
2 野口 明 4 0 9 亀田 春雄 2 0
8 鬼頭 数雄 3 1 -9 吉田 泰章 1 0
8 宮本 英明 2 0
33 7 2 2 0 0 2 31 4 7 1 1 0 5
暴投=吉田 併殺1 残塁6 失策=福谷 併殺1 残塁6 失策=阿部3、柚木、藤原


傷口を塞いだ吉田


 明石中は調子が悪いとはいえ楠本がおり、そして新鋭の4年生中田もいて強力なこの二本柱で順調に駒を進めていった。初戦の慶応商工戦は楠本が16奪三振で完封。続く2回戦も楠本が登板し水戸商を13奪三振でおまけにノーヒットノーラン。準々決勝の横浜商戦は6回まで楠本が投げたところで中田に交代。これが中田の今大会初登板だったが3回を5奪三振の無失点。無失点のまま4大会連続の準決勝進出を決めた。

33夏一回戦

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 得点
明石中 0 4 0 2 0 0 0 0 0 6
慶応商工 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
明石中 打数 安打 慶応商工 打数 安打
9 山田 勝三郎 3 1 6 岸上 就一 3 0
3 横内 明 5 1 4 大槻 守治 2 1
1 楠本 保 5 2 5-3 荒井 鋭夫 2 0
8 中田 武雄 4 1 1 笠倉 宏之 3 0
7 深瀬 正 2 0 3-9 波多野 邵矣 4 0
PH 松下 0 0 -9 大島 辰雄 0 0
7 田口 重雄 1 1 8 佐藤 喜久雄 4 0
6 峯本 三一 3 0 2 綱島 重寿 4 0
2 福島 安治 2 1 9 石井 勇次郎 2 0
5 永尾 正己 5 1 -5 折田 兼秀 2 0
4 嘉藤 栄吉 5 2 7 吉川 蔵吉 1 0
35 10 3 12 1 0 0 27 2 16 7 1 0 0
残塁15 捕逸=綱島 併殺1 残塁8


33夏二回戦

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 得点
明石中 1 0 2 1 0 2 0 0 4 10
水戸商 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
明石中 打数 安打 水戸商 打数 安打
9 山田 勝三郎 5 2 2 根本 保平 4 0
3 横内 明 4 2 5 小林 富次 4 0
1 楠本 保 3 1 1 小林 順 4 0
8 中田 武雄 4 1 7 河井 宣鐘 3 0
7 田口 重雄 3 1 6 山口 哲夫 3 0
PH 吉岡 辰雄 1 0 3 丸山 義男 2 0
-7 深瀬 正 1 0 4 山崎 岩雄 1 0
4 嘉藤 栄吉 4 1 9 斎藤 信夫 3 0
2 福島 安治 4 0 8 立原 常夫 2 0
5 永尾 正己 3 0
-5 松下 2 1
6 峯本 三一 5 2
39 11 4 5 2 1 1 26 0 13 5 0 0 5
二塁打=山田 併殺1 残塁10
失策=峯本
残塁4 失策=小林富2、山口、丸山


33夏三回戦

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 得点
横浜商 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
明石中 3 0 0 0 0 0 0 1 x 4
横浜商 打数 安打 明石中 打数 安打
9 崔 巳広 4 0 9-8 山田 勝三郎 4 1
6 谷口 功 2 0 3 横内 明 3 1
5 寺田 静夫 3 0 1-9 楠本 保 3 1
8 岩瀬 三郎 3 0 8-1 中田 武雄 3 0
3 吉田 光男 3 0 5 松下 2 0
2 菅沼 大郷 2 0 PH 吉岡 辰雄 1 0
1 大橋 一雄 3 0 -5 永尾 正己 1 0
7 中山田 政雄 3 0 4 嘉藤 栄吉 3 0
4 山本 武雄 3 1 7 田口 重雄 3 1
2 福島 安治 4 1
6 峯本 三一 3 0
26 1 16 4 0 1 3 30 5 3 6 1 0 0
併殺1 残塁3 失策=谷口2、寺田1 二塁打=楠本、山田 併殺1 残塁9

 準決勝の組み合わせが発表された。一つは平安中対松山中。そしてもう一つは明石中対中京商となった。

7.1933春 世代交代の季節

9.1933夏・下 伝説

中京商・松山商・明石中の三つ巴

野球回廊

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