第一回全国中等学校優勝野球大会(豊中グラウンド)

優勝 京都第二中学校(京都府)

優勝メンバー

試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 四球 三振 打率 残塁 失策
投手 藤田 元 4 18 2 4 0 1 0 1 4 0 3 6 .222 4 1
捕手 山田 惣次郎 4 18 4 4 0 0 0 1 3 2 1 3 .222 4 0
一塁 西川 五三郎 4 13 1 2 0 0 0 0 1 0 4 3 .154 5 2
二塁 津田 良三 4 18 2 5 1 0 0 3 2 0 0 5 .278 4 5
三塁 大場 義八郎 4 21 3 5 0 1 0 0 2 0 0 2 .238 4 2
遊撃 綾木 保次郎 4 20 4 4 0 0 0 1 1 1 0 3 .200 4 2
左翼 内藤 源次郎 4 13 3 4 0 0 0 0 0 2 2 2 .308 3 0
中堅 中   啓吉 4 20 6 5 2 1 0 3 0 0 1 3 .250 2 0
右翼 野上 実 4 14 2 2 1 0 0 2 2 1 2 5 .143 3 1
補欠 岡井 明義 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - 0 0
補欠 半井 修一 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 - 0 0

主なオーダー
1 中堅 中   啓吉
2 捕手 山田 惣次郎
3 三塁 大場 義八郎
4 投手 藤田 元
5 遊撃 綾木 保次郎
6 二塁 津田 良三
7 一塁 西川 五三郎
8 左翼 内藤 源次郎
9 右翼 野上 実

その他の参加校
準優勝
秋田中学校 秋田県 東北代表
ベスト4
早稲田実業学校 東京府 関東代表
和歌山中学校 和歌山県 関西代表
ニ回戦敗退
第二神戸中学校 兵庫県 兵庫代表
第四中学校 三重県 東海代表
鳥取中学校 鳥取県 山陰代表
高松中学校 香川県 四国代表
一回戦敗退
久留米商業学校 福岡県 九州代表
広島中学校 広島県 山陽代表


出場校データ
本大会
思い出話
予選
東北大会
東京大会
東海大会
京津大会
関西大会
兵庫大会
山陽大会
山陰大会
四国大会
九州大会
その他データ

出場校データ                                                                                        .

秋田中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 長崎 廣 5年 明大マネージャー 学校創立 1873
捕手 渡辺 純司 5年・主将 1993.12.22死去 野球部創設 1894
一塁 信太 貞 甥に阿部牧郎
二塁 斎藤 長治 校長:兒玉 實德
三塁 鈴木 粂治(久半治?) 部長:古籏 安蔵
遊撃 小山田 雄一
左翼 羽石 順一(統市?)
中堅 丹 市郎
右翼 野口 眞吉(新吉?) 後に秋田銀行支店長代理
補欠 土井 繁治(常吉?) 5年
補欠 高橋 巍(魏?) 2年 宿舎:梅田驛前金龍館本店
監督 小室 理吉教諭 あだ名はヤマグボ


早稲田実業学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 白井 林太郎 5年 学校創立 1901
捕手 岡田 源三郎 5年 明大から明大監督、金鯱監督 野球部創設 1905
一塁 平田 正義
二塁 三川 一雄 4年 校長:杉山 重義
三塁 宮川 勉 部長:鈴木 浩之
遊撃 石井 順一 4年 早大卒業後、東京倶楽部-バット職人 監督:河野 安通志
左翼 石崎 俊彌
中堅 中沢 隆昌
右翼 霧島 敬司 3年
補欠 須田 隆三
補欠 小林 榮 宿舎:梅田驛前金龍館本店
監督 鈴木 浩之教諭 歴史


三重第四中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 西川 孝二 学校創立 1899
捕手 菊川 武雄 野球部創設 1900
一塁 置鹽 周 1年 後にアメリカにて庭師
二塁 鷹森 重信 校長:黒金 泰信
三塁 前納 良平
遊撃 沢山 松緣 5年・主将
左翼 堤 周成
中堅 田中 隆三
右翼 菊川 茂
補欠 谷口 胖 四高-東大 後に武蔵野銀行取締役
補欠 藤井 喜助 宿舎:梅田 都橋 浮田館
監督 西澤 藤吉教諭 国語・漢文


京都第二中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 藤田 元 5年 明大 学校創立 1900
捕手 山田 惣次郎 後に山口銀行 野球部創設 1901
一塁 西川 五三郎 3年
二塁 津田 良三 校長:中山 再次郎
三塁 大場 義八郎 部長:加藤 備
遊撃 綾木 保次郎
左翼 内藤 源次郎 4年 三高-京大
中堅 中 啓吉 5年・主将
右翼 野上 実 4年
補欠 岡井 明義 3年
補欠 半井 修一 宿舎:梅田都橋和泉屋のちに轉宿
監督 加藤 備教諭 英語

和歌山中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 戸田 省三 学校創立 1879
捕手 矢部 和夫 5年・主将 早大 野球部創設 1897
一塁 永岡 一 慶大
二塁 小川 錦水 校長:野村 浩一
三塁 中筋 武久 早大
遊撃 西村 秀行
左翼 小笠原 道生 4年 東大-文部省・野球統制臨時委員
中堅 奥山 彌太郎
右翼 小川 豊
補欠 谷口 忠夫
補欠 丸山 豊秋 宿舎:梅田驛前金龍館本店
監督 中本 實教諭


第二神戸中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 今村 幡象 4年 学校創立 1908
捕手 陸好 安夫 4年 野球部創設 1908
一塁 村田 雄二 3年
二塁 箸蔵 史樓 4年 校長:平澤 金之助
三塁 上村 隆之助 5年 主幹:福田 聯
遊撃 田中 勘吾 5年・主将 部長:稲村 賢三
左翼 児島 一士 3年
中堅 橋本 一男 4年
右翼 藤原 英夫 3年
補欠 岸本 胤夫 3年
補欠 松夫 亥一 3年
監督 岩佐 寅之助教諭 英語


鳥取中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 鹿田 一郎 5年・主将 後に日本赤十字会計室長 学校創立 1873
捕手 松田 重勇簀 5年 野球部創設 1896
一塁 松木 啓治 4年
二塁 岩田 健治 4年 校長:林 重浩
三塁 田村 豊 5年 部長:名原 廣三郎
遊撃 竹岡 貞 3年  
左翼 上田 登之助 4年
中堅 中村 延孝 4年
右翼 小谷 榮治  
補欠 伊谷 芳藏 4年
補欠 中沢 卯吉 4年 宿舎:豊中阿彌陀寺
監督 天野 誠人



広島中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 岸 安三 学校創立 1874
捕手 田部 謙三 田部武雄の兄 野球部創設 1889
一塁 中村 隆元
二塁 小田 大助 校長:弘瀨 時治
三塁 倉本 俊雄
遊撃 廣藤 省三 主将
左翼 菅 安三
中堅 増岡 増造
右翼 植村 照夫
補欠 山県 淸 
補欠 林田 壽 宿舎:梅田驛前金龍館本店
監督 宇佐見 兵太郎教諭 法制・体


高松中学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 大西 禎夫 5年・主将 学校創立 1893
捕手 加納 慶德 野球部創設 1896
一塁 中村 仁
二塁 岸川 胖 校長:御手洗 学
三塁 高橋 仁 5年 後に盛岡地裁所長 部長:柴山 貞
遊撃 岩瀬 喬
左翼 木村 博
中堅 高橋 直道
右翼 懸川 喜六
補欠 下津 薫
補欠 作花 精一 宿舎:東梅田二九九東雲館
監督 松原 安次郎教諭 数学


久留米商業学校

守備 名前 学年 備考 学校情報
投手 城崎 才次郎 5年・主将 学校創立 1896
捕手 田中 一郎 5年 野球部創設 1900
一塁 森崎 一郎 3年
二塁 佐藤 淸助 3年 校長:古林 喜代太
三塁 藤吉 直蔵 4年 1989年90歳没 部長:今津 守雄
遊撃 片岡 雅彦 3年 スコアラー:谷
左翼 本間 義雄 5年
中堅 今里 喜次郎
右翼 内藤 直義
補欠 秋山 安蔵 5年
補欠 金平 義平 宿舎:市營電車梅田車庫南横手みかど屋
監督 今津守雄教諭 算術・知里・珠算



本大会結果                                                                                         .

一回戦                                                                                              .

8月18日 08:30~11:00 球審:小林 塁審:井上・高山 陪審:菊名

広島中 200 010 004 = 7
鳥取中 310 002 17x = 14
広島中 鳥取中
ニ 小田 大助 34打31 左 上田 登之助
遊 廣藤 省三 5 安 8 遊 竹岡 貞
中 林田 壽 14振 8 ニ 岩田 健治
一 中村 隆元 6 四13 投 鹿田 一郎
右→捕 増岡 増造 1 犠 1 三 田村 豊
捕 田部 謙三 捕 松田 重勇簀 
→右 植村 照夫 2 盗 2 一 松木 啓治
三 倉本 俊雄 4 失 5 右 小谷 榮治
左 菅 安三 中 中村 延孝
投 岸 安三
本塁打 中村
三塁打 松田
二塁打 林田・倉本・松田2・田村

8月19日 09:20~12:00 球審:菊名 塁審:折田・岡本 陪審:井上
和歌山中 300 002 091 = 15
久留米商 100 001 000 = 2
和歌山中 久留米商
中 奥山 彌太郎 43打36 遊 片岡 雅彦
遊 西村 秀行 10安 7 投 城崎 才次郎
一 永岡 一 13振 6 中 今里 喜次郎
捕 矢部 和夫 11四 0 捕 田中 一郎
投 戸田 省三 3 犠 0 ニ 佐藤 淸助
三 中筋 武久 8 盗 0 左 本間 義雄
左 小笠原 道生 7 失15 右 内藤 直義
ニ 小川 錦水 三 秋山 安蔵
右 小川 豊 一 森崎 一郎
二塁打 中筋


二回戦                                                                                              .

8月18日 12:20~14:30 球審 松田 塁審:吉田・三木 陪審:岡本

京都二中 002 101 227 =15
高松中 000 000 000 = 0
京都二中 高松中
中 中 啓吉 42打29 三 高橋 仁
捕 山田 惣次郎 11安 2 左 木村 博
三 大場 義八郎 14振15 遊 岩瀬 喬
投 藤田 元 5 四 4 投 大西 禎夫
ニ 津田 良三 3 犠 0 捕 加納 慶德
遊 綾木 保次郎 11盗 0 一 中村 仁
一 西川 五三郎 3 失15 ニ 岸川 胖
左 内藤 源次郎 右 懸川 喜六
右 野上 実 中 高橋 直道
三塁打 中
毎回奪三振 藤田元

8月18日 15:20~17:20 球審:都築 塁審:町田 小西 陪審:折田
早稲田実 000 011 000 = 2
神戸二中 000 000 000 = 0
早稲田実 神戸二中
捕 岡田 源三郎 31打31 遊 田中 勘吾
ニ 三川 一雄 6 安 2 捕 陸好 安夫
投 白井 林太郎 2 振 4 左 児島 一士
左 石崎 俊彌 5 四 1 投 今村 幡象
右 霧島 敬司 3 犠 0 三 上村 隆之助
遊 石井 順一 6 盗 0 ニ 箸蔵 史樓
中 中沢 隆昌 2 失 4 右 藤原 英夫
一 平田 正義 中 橋本 一男
三 宮川 勉 一 村田 雄二



8月19日 13:15~15:30 球審:小西 塁審:吉田・三木 陪審:高山

秋田中 102 300 201 = 9
三重四中 000 001 000 = 1
秋田中 三重四中
捕 渡辺 純司 36打29 捕 菊川 武雄
投 長崎 廣 8 安 3 一 置鹽 周
三 鈴木 粂治 9 振12 投 西川 孝二
遊 小山田 雄一 1 四 3 遊 沢山 松緣
一 信太 貞 1 犠 0 左 堤 周成
左 羽石 順一 3 盗 2 三 前納 良平
中 丹 市郎 0 失10 中 田中 隆三
右 野口 眞吉 右 菊川 茂
ニ 斎藤 長治 ニ 鷹森 重信
三塁打 丹
二塁打 渡辺・沢山
※全国高等学校野球選手権大会史より
秋田中 打数 安打 失策 三重四中 打数 安打 失策
捕 渡辺 4 2 1 捕 菊川 3 0 0
投 長崎 3 0 0 一 置鹽 3 0 1
三 鈴木 5 2 0 投 西川 4 0 1
遊 小山田 4 1 0 遊 沢山 4 2 1
一 信太 5 1 0 左 堤 3 1 0
左 丹 4 0 0 三 前納 4 0 3
中 羽石 3 1 0 中 田中 3 0 0
右 高橋 2 0 0 右 菊川 2 0 0
ニ 斎藤 3 1 0 ニ 鷹森 3 0 2
33 8 1 29 3 8
※秋田高同窓会より



当時の東京朝日新聞の記事から
全国野球大会第二日。午後一時、秋田中学対山田中学試合開始。秋田勢先攻。小山田のヒットと三塁手の過失と相まってマンマと一点を収め、二回目、事無く。
三回目、渡部のヒットに秋田勢一点を加え、勢いに乗じたる。長崎の犠牲球、効を奏して更に一点を合わせたるが、山田(三重四中)方三振相次いで敵投手の為に打撃を封ぜられて収穫無く。
四回目、大いに攻勢を取りたる秋田勢の一死満塁にあたり死球によって一点。及び信太の安打に送られ二点。都合三点を加えて六対零となり。この形勢に激したる山田方は努力猛打第三塁を踏みしも、遂に生還を得ず。
五回目、両軍得る所なく。
六回目、秋田勢は丹、中堅越三塁打に出でたるも野口の軟打効無くして結局得点なく。山田方をして頽勢(たいせい)を盛り返すの機、ようやく至れりと為し、既に味方二死後に出でたる沢山の美事なるヒット、卓効を奏して最初の一点を入れる。
七回目、信太熱球を二塁手の逸したるに乗じて秋田勢二点を加え、しかも山田方は本塁に併死して回天の業、ともすれば難からんとす。
八回目、敵の守備、厳にして流石の秋田勢も入るに由なく。山田方また同じく一塁に討ち死し、かくて最終の九回目に入る。
勝ちに乗じたる秋田勢またしても満塁となれる折柄、捕手の投球を本塁手逸して生還一人を教え、代わりて攻むる山田方最後の念晴らしに腕の限り、根限り打ち捲らんと力みたるも効無く遂に得を点を得ず、一対九を以つて秋田軍勢の勝利となれり。二十日は第一回鳥取中学対和歌山中学、第二回早稲田実業対秋田中学の優勝試合を為すべし。(大阪電話)


8月20日 10:10~12:10 球審:松田 塁審:井上・高山 陪審:菊名

和歌山中 000 000 007 = 7
鳥取中 000 000 010 = 1
和歌山中 鳥取中
中 奥山 31打32 左 上田
遊 西村 1 安 2 遊 竹岡
一 永岡 9 振 5 ニ 岩田
捕 矢部 2 四 2 投 鹿田
投 戸田 4 犠 1 三 田村
三 中筋 9 盗 0 捕 松田
左 小笠原 9 失 5 一 松木
ニ 小川錦 右 中沢
右 小川豊 中 中村



準決勝                                                                                              .


8月20日 13:00~15:20 球審:都築 塁審:吉田・岡本 陪審:折田

早稲田実 000 001 000 = 1
秋田中 101 000 01x = 3
早稲田実 秋田中
捕 岡田 29打31 捕 渡辺
ニ 三川 3 安 5 投 長崎
投 白井 1 振 8 三 鈴木
左 石崎 5 四 0 遊 小山田
右 霧島 1 犠 1 一 信太
遊 石井 6 盗 0 左 丹
中 中沢 5 失 3 中 羽石
一 平田 右 高橋
三 宮川 ニ 斎藤
※全国高等学校野球選手権大会史より
早稲田実 打数 安打 失策 秋田中 打数 安打 失策
捕 岡田 2 0 0 捕 渡辺 3 1 0
ニ 三川 3 0 1 投 長崎 4 0 0
投 白井 3 0 2 三 鈴木 4 2 0
左 石崎 3 0 0 遊 小山田 4 1 1
右 霧島 3 1 0 一 信太 4 1 0
遊 石井 3 1 2 左 丹 3 0 0
中 中沢 3 1 0 中 羽石 2 0 0
一 平田 3 0 1 右 高橋 3 0 0
三 宮川 3 1 0 ニ 斎藤 3 0 2
25 4 6 30 5 3
※秋田高同窓会より


当時の東京朝日新聞の記事から
全国野球大会第三日。午前に引続き午後二時より開始せる一勝者試合の第二回目は小早慶試合(秋田中が慶應義塾からコーチを受けていることから呼ばれた)の称ある早稲田対秋田の試合にして観衆の期待またはなはだ大なりき。
一回目、先攻の早稲田方の打者岡田、熱球を飛ばして出で、巧に本塁に迫りしも、後援続かずして倒れる。秋田方二死後、小山田の小ゴロを折角止めたる敵投手、悪球を一塁に投じたる為、二塁走者疾駆生還して最初の一点を収める。
二回目、早稲田方、敵の四球に送られて二塁を踏みしも入らず。秋田方、また二人相次いで悶死。
三回目、早稲田方、岡田四球に出でて二死後二塁に機を窺がいしも、臼井の飛球、三塁手の得るところとなりて生還せず。秋田方斎藤敵遊撃の失に出で二塁に到れる時しも、渡部の軟打を遊撃得たるも二塁に悪球を投じ生還一人を加えて得点二となる。
四回目、早稲田方凡打して効なく、代わりて秋田方小山田安打に出でしも返らず。
五回目、早稲田一死後、宮川ヒット、岡田四球に出でたるも三川、臼井連死して得るところなく、秋田方また得点なく。
六回目、早稲田方石崎四球に出で霜島も犠牲球に送られ、石川の右翼ヒットによる一点を入れて敵の守備ようやく乱れかけしが辛くも防ぎ止めて事なく、秋田方凡打凡死して局面変化なく。
七回目、早稲田総て効無く。秋田方二死後、三塁を踏みしも高橋直球三塁手に捕らえられて進むあた能わず。
八回目、早稲田方、回天の業この機にありとなし、攻撃すこぶる努めしも敵の緊密なる備えは容易に襲破を許さずして三人連死。秋田方は既に一点の勝越しあり、あわよくばプラスアルハーとなさんとし、二死後鈴木の三塁越安打に依りて三塁を占めたる長崎は小山田の球を投手の逸したるに乗じ、駛走(しそう)本塁に入りてここに一対三となる。
九回目、早稲田方回復の機はこの一回に極まる。し力も二死既に眼前に在り走者三塁に入りて敵の牙営を窺うも宮川の飛球、三塁の得るところとなりて惜しむべし三塁に死し、結局一対三プラスアルハーにて秋田勢の巧妙を為すに至れり。
三時十五分終了。

8月21日14:00~15:30 球審:松田 塁審:大井・町田 陪審:不明

和歌山中 010 000 000= 1
京都二中 010 000 00-= 1
九回裏 一死 走者一塁の時降雨のため再試合
和歌山中 京都二中
中 奥山 29打29 中 中
遊 西村 0 安 3 捕 山田
一 永岡 3 振 5 三 大場
捕 矢部 2 四 2 投 藤田
投 戸田 2 犠 2 ニ 津田
三 中筋 2 盗 0 遊 綾木
左 小笠原 4失 7 一 西川
ニ 小川錦 左 内藤
右 小川豊 右 野上
三塁打 藤田

8月22日 12:52~15:00 球審:松田 塁審:奈良崎・町田 陪審:井上

和歌山中 020 000 030 = 5
京都二中 201 111 21x = 9
和歌山中 京都二中
中 奥山 30打37 中 中
遊 西村 4 安 9 捕 山田
一 永岡 8 振 3 投 藤田
捕 矢部 6 四 2 三 大場
投 戸田 1 犠 2 遊 綾木
三 中筋 4 盗 1 ニ 津田
左 小笠原 11失 2 一 西川
ニ 小川錦 左 内藤
右 小川豊 右 野上
二塁打 中・津田・野上

大会委員紅白戦                                                                                       .

8月22日 15:30~16:50 球審:エリオン(神戸クリケット倶楽部) 塁審:今井 

現役(白) 000 000 000 = 0
豫後備(赤) 000 000 01x= 1
現役(白) 豫後備(赤)
高山(京大) 投手 松田(旧早大)
折田(三高) 捕手 増田(旧早大)
吉田(同志社) 一塁 佐々木(旧慶大)
小林(三高) 二塁 福井(旧一高)
三木(関西高等) 三塁 都築(旧三高)
井上(七高) 遊撃 奈良崎(旧慶大)
小西(京大) 左翼 大井(旧早大)
岡本(神高商) 中堅 平岡(野球年寄)
菊名(大高医) 右翼 町田(旧三高)
ノーヒットノーラン 松田


決勝                                                                                              .

8月23日 14:40~17:10 球審:菊名 塁審:井上 岡本 陪審:町田
秋田中 000 000 100 000 0 = 1
京都二中 000 000 010 000 1x= 2
秋田中 京都二中
捕 渡辺 43打46 中 中
投 長崎 4 安 8 捕 山田
三 鈴木 10振10 投 藤田
遊 小山田 1 四 4 三 大場
一 信太 0 犠 1 遊 綾木
左 丹 1 盗 5 ニ 津田
中 羽石 4 失 3 一 西川
右 高橋 左 内藤
ニ 斎藤 右 野上
二塁打 渡辺


秋田中 打数 安打 三振 四死球 犠牲球 盗塁 残塁 失策 打点 得点 京都二中 打数 安打 三振 四死球 犠牲球 盗塁 残塁 失策 打点 得点
捕 渡辺 5 1 0 0 0 0 1 0 0 0 中 中 5 1 0 1 0 0 0 0 0 1
投 長崎 5 1 1 0 0 1 1 0 0 0 捕 山田 5 1 1 0 1 1 1 0 0 0
三 鈴木 5 0 3 0 0 0 0 1 0 0 投 藤田 6 2 2 0 0 1 1 0 0 0
遊 小山田 4 0 2 1 0 0 1 0 0 0 三 大場 6 1 2 0 0 1 0 0 0 1
一 信太 5 0 1 0 0 0 0 2 0 1 遊 綾木 6 0 0 0 0 1 2 1 0 0
左 丹 5 2 0 0 0 0 1 0 1 0 ニ 津田 6 0 2 0 0 1 1 0 0 0
中 羽石 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 一 西川 3 1 1 2 0 0 2 2 0 0
右 高橋 5 0 1 0 0 0 0 0 0 0 左 内藤 5 2 0 0 0 0 2 0 0 0
ニ 斎藤 4 0 2 0 0 0 0 1 0 0 右 野上 4 0 2 1 0 0 2 0 0 0
43 4 10 1 0 1 4 4 1 1 46 8 10 4 1 5 11 3 0 2


試合前の予想では、準決勝で優勝候補の早稲田実業を破り、中二日空き疲労のとれた秋田中の圧倒的有利と思われていた。京都二中は秋田中の長所・短所を徹底的に研究した結果、ストレートには強く、強振気味であったのでエース藤田は外角へのカーブを多投。すると秋田中は翻弄され大苦戦だった。京都二中もサインミスか、はたまた走者の暴走か、一死三塁の場面を二度も作りながら共に本塁で憤死し、好機を潰してしまう。7回表、京都二中藤田の一失をきっかけに秋田中が先制点を挙げると、京都二中も8回裏、先頭の中・続く山田が出塁後、秋田中の捕手渡辺が高めの球を逸らし中が本塁生還し同点に追いつく。そのまま試合は決まらずについに本大会史上初の延長戦に突入。10回裏、京都二中は二死満塁の大チャンスを作り、内藤が左翼への大飛球を放つ。さよならホームランかと思われたが、レフト丹が懸命にバックして好捕。このファインプレーにはスタンドはもちろん、京都二中の選手も拍手するほどであった。そのまま試合は進み迎えた延長13回裏、5番大場の打球をセンター羽石が落球。大場の二盗後、綾木が倒れたが、続く津田の放った打球をセカンドが落球し、そのセカンドが放った打球をファーストもエラー。その間に大場が一気にホームインしサヨナラゲーム。時は午後5時10分。ここに全国中等学校優勝野球大会初代優勝校が決定した。


延長13回裏サヨナラの瞬間


思い出話
                                                                                        .

京都二中主将 中啓吉

思い出してもいまだにキツとなりますが選手があまり興奮してはだめだといふので大会中は自校の試合の時以外は全然グラウンドに寄りつかず試合が済むと合宿所に閉込められたまま一切外出を禁止されてゐた。時々私が主将である関係上偵察に出かけるくらゐでした。一同是が非でも勝たねばならぬといふので大会中の宿舎を選ぶにしても学校当局は縁起をかついで選定したもので試合が円滑に勝ち進むやうにと多分阪神沿線だつたと思ふが丸吉といふ旅館に合宿しました。野球部長の加藤先生は大会中毎日朝早く起きて旅館から石清水八幡に日参して戦勝祈願をこめられたものです。大会中一番心配したのは和歌山中学との試合の時でした。試合前から一と雨降りさうな空模様だつた。 ところが二回に一点を先取されていよいよ空は険悪になつて来た、さあ心配でしかたがない。このまま五回まで押切られて雨のためコールド・ゲームにでもなつたらそれこそたまらんと思ひ試合より雨の方に気をとられてヒヤヒヤしてゐたが二中も一点を入れて同点となりやつと胸を撫でおろした。ところが心配してゐた雨は六回になつても七回になつてもなかなか降らず九回になつて降り出しスコアは1-1だつたので遂にドロン・ゲームとなつた。和歌山中学には矢部君といふ強肩の捕手がゐた。これを反対に利用してまんまと成功したことがある。大会中どの試合でもあつたことだが、走者が三塁と一塁にゐる場合一塁の走者が盗塁しても決して捕手は二塁に投球しなかつた。だから一塁の走者は悠悠と歩いてでも盗塁したものであつた。ところが和歌山中の捕手矢部君は強肩だつたので決して盗塁を許さなかつた。必ず二塁に投球して殺してしまつた。和歌山と鳥取の試合を偵察に行つて鳥取の走者が盗塁しては田楽刺しにされてゐたのを見て和歌山との試合には一つ矢部君の強肩を逆に利用してやれと考へてゐたところ、当の和歌山と組み機や至るとばかり狙つてゐたら袷度うちの津田が三塁に、西川が一塁のチャンスを掴んだ。あらかじめ打ち合せしてあつたのでこの時ぞとばかり西川が盗塁を決行。思つた通り矢部は二塁へ向つて投球した、が西川は二塁ベースまで走らずベース手前でツと停つた。ベースまで突進してくるものと思つてゐた和歌山の野手がウロウロ まごついてゐる間に三塁にゐた津田は西川が盗塁したと同時にホームに突進してゐたので本盗に成功して勝つたことがある。当時專属コーチといふものがなくこんな細い駆引きをやるチームはチヨツとほかになかつた。今だつたらこんなことは当然だがその時代にはダブル・スチールなどは中等学校では用ひなかつた。ただ私は和歌山と鳥取との試合を見てフとそんな駆引きをやつて見たまでのことであつたが、こいつが見事成功して遂に強敵和歌山に勝ちましたヨ。
秋田は強チームとの噂があつたが秋田と早実の試合を見ると、なるほど秋田の選手は元気であつたが打者の時いづれも非常に足を引いて打つてゐた。これではアウト・コーナーの球は打てんと思つた。うちの藤田投手はアウト・カーヴが得意だつたのでこいつは優勝できるぞと自信がついた。ところが、いざ優勝試合になつて秋田に向つたところが、いささかあせり気味だつた加減か甚だ苦戰した。この試合について失敗したことがある。いよいよ秋田と優勝試合をやる前夜合宿でコーチなどが集つて作戦を練つてゐた。その際大切な試合だからといふので敵にサインを看破された場合の用意にと仮にスクイズのサインは腰に両手をやる、または頭に手をやればスクイズをやれといふやうに二つも三つもサインを作つて置いた。その当時はベンチには選手以外はコーチも入れなかつたので私が全部サインすることになつてゐた。いざ当日になつて試合開始前になつてからスクイズなんてやる機会はさう多くないからこれは一つに決めようと相談して一つにした。試合は始まつて三回か四回だつたと思ふが無死で走者を三塁に迎へた。この時僕はスクイズをやらうとはまだ思つてゐなかつたが何の気なしにベンチに立ち上り腰に手をやつた。ところがどうだらう、試合前にスクイズのサインは一つに決めてあつたのに三塁の走者は前夜決めたことが頭に残つてゐたためかスクイズだと思つてサツと本塁に突進。むざむざと犬死にチヤンスは逃がすし觀衆には野次られるし大いに弱つた。試合は二中の方が最初から優勢でもあり補回試合まで入らずとももつと早く勝つてゐたが、これはあせり気味であつたところへ秋田に先に一点を奪はれてますますあせり、結局試合をながびかせた、結局楽に勝てると思つてゐたのが案外苦戦してやつと優勝出来た。当時の有名な二中の野球校長中山先生は今もなほ母校寄宿舎にあつて子弟の訓育に一生を捧げられてゐるが先生は『優勝したおかげで俺(わし)は借金ができ、えらい貧乏したぞ。しかしこんな散財は結構だ』と上機嫌だつた。その当時はへんなチームでも優勝出来たのだらうと今でも時々いはれるが僕は現在とさう実力は変らぬと思ふ。そりや幾分徐々に上達してゐる点はあると思ふが練習だつて僕らの当時の方がもつと猛烈であつた。当時は父兄の理解がなくかくれてやつたものだ。その点今の選手は惠まれてゐる。父兄の理解はあり先輩やファンの後援があり、これで上達しなかつたら嘘だ。僕らの時代に比べると器具も改良され、グラウンドの設備も完全で自然どの選手も上手なやうに見えるのだと思ふ少くとも元気な点だけは今より勝れてゐても劣つてはゐなかつた。

大阪朝日新聞 1934年08月02日付より   一部文字を変更

高松中、和歌山中、秋田中の三試合とも辛かった試合だが、全国大会に出るまでの京都一中との試合がなににもまして感激であり喜びでもあった。京一中との対抗意識は、学校のあらゆる面でしのぎを削り合って板から、勝利の喜びは全国大会への自信につながっていた。高松中は琴平電鉄の大西社長が投手で、剛球を投げていましたが、なにぶん都会チームの二中は見事破りました。和中に一転リードされていたのを投手の藤田君が三塁打して同点に持込み、雨で再試合となって9-5で快勝。これも藤田君の殊勲の一打が出ていなければどうなっていたか、危なかったものだ。決勝の秋田中途は接戦で、延長13回大場の中飛を野手落とし、二盗、綾木君が倒れたあと、津田君の二塁ライナーを野手ハンブルしたうえ一塁に送球、一塁手またハンブルしたそのスキに大場が一挙に生還した。その時、私は三塁コーチャーすボックスにいたが、全くハラハラさせられた。

『全国高等学校野球選手権大会史』より


秋田中捕手 渡部純

「決勝まで行けるとは夢にも思っていなかった。無欲の勝利だった。準決勝の早実に勝って、なんだか力がついたような気がした。選手は11人いたんだが、、親が反対して、大阪へ行かせてもらえず、その上右翼手野口信吉君が山田中の試合のときねんざしてギリギリの人数になった。わたしがキャッチャーでトップ、ピッチャーの長崎君が二番。いまなら珍しい打順だ。長崎君とはサイン無しの投球でした。内、外角をつく速球一点張りで投げ切った。延長13回になったら、あたりが薄暗くなり、遠くの家で伝統の灯りがちらほらするのが見えました。13回は全く惜しかった。あれがアウトになっていたら日没引き分けということになっていたでしょう。あの決勝点はほんとの間一髪。今も写真で見ると、ボールはミットで掴んでいるんですが、タッチはできなかった。
『不滅の高校野球』より



鳥取中主将 鹿田一郎

大正四年、豊中に始まった大会も、会を重ねること四十回。まことに光陰矢の如しというか、幸いにしてその第一回大会に参加した私らは、当時を思うと数々の思い出が走馬灯のように去来して、ただ感無量です。始球式に村山朝日社長によって投ぜられた白い球は、いまもいきいきと目に浮かび、錦絵の中に夢のように立っている思いがします。当時と世中に集った全国代表十チームは、さすがに強豪ぞろい。とくに早実、和歌山中、京二中、秋田中学などは、キビキビとした洗礼されたチームでした。私は、偶然のめぐり合わせから、その第一回大会の第一日に、しかも大一試合の第一球を投ずるという光栄をになったのです。私らの鳥取中学は、抽選で大会最初に広島中学と争うことになり、しかも後攻めになったばかりに、投手だった私は大会の第一球を投げることになったわけです。私はもともと心臓は相当強い方で、この試合に出るまで「あがる」ということは決してなかった。ところがその私が、あの大がかりな大会のふんい気、いかめしい始球式の光景にすっかりあがってしまいました。全くふがいない話です。だから、第一球は本当に無我夢中で投げました。こんなわけで、四十余年たったいま、当時の情況はあまり良く覚えていませんが、たしかストライクだったと思います。とてもカーブは投げられなかったので、直球をド真ん中に決めたように覚えています。無我夢中だったけれども、ストライクがとれて、いくらか落ち着きを取り戻したように思います。この第一球に使われた球はどうなったか知りません。しかし、この試合は、幸いにわれわれが勝ち「ウイニングボール」を記念にもらったように記憶しています。結局その次に強豪和歌山中にぶつかって敗れたのですが、八回の裏までは1-0と、鳥取に幸いし、緊張した形で進んだ試合も、最終回いわゆるバント攻めにすっかりあがってしまい、いま一息というところで敗退しました。

『全国高等学校野球選手権大会史』より

「我々チームは矮躯の者ばかりで他校チームは殆んど大学チームの如く一般に大躯で最初豊中グラウンドに我々が現はれた時は嘲笑をうけました。二十日の和歌山中学のチームとの試合は何しろ和中のチームは能く場所馴れ且つ後援団の助勢に経験があるが、我々は何分初めて大会に参加せる事とて場所慣れざるため兎角狼狽勝ちで和中チームとは八回迄は鳥中が一点を得しも和中のバッターが余り弱きため球を浮さんと思ひ中途で作戦を変ぜしため反って其れが失敗の原因となりしと思ふ。其場を固守せば或は其のまま一点の勝星を得たかも知れませんでした。実に残念な事を致しました。畢竟私一人が失敗の罪を負はねばならぬ又我々チームは大都会のグラウンドに出るに就ては猶大に奮闘の必要があると同時に今回の大会に獲る処多々でありました。」
『鳥取西高等学校野球部史』鳥取西高等学校野球部史編纂委員会編 より



早稲田実業 岡田源三郎

豊中で大会が行われたのですが、何故か早実の宿舎が大阪・梅田の旅館でした。阪急電車に乗ってグラウンドまで往復したのです。この大会はいろんな賞品が出ました。英和辞典とか万年筆です。なにしろもう勝ったつもりですから〝明日は何!〟〝あさっては何を!〟といった具合で、もう全部貰った気 になっていました。第1戦の神戸二中に勝って、明日は秋田中学戦という前の晩はこれは大変でした。関西在住の校友が宿舎に押し掛け〝もう優勝だ!〟と夜中の12時頃までドンチャン騒ぎ。われわれは酒も飲めず、ただその輪の中にいるだけ。秋田中学を完全にナメてしまっていた。試合はご承知の通り負けです。石井のエラーで1点をとられ、そのあとつまらないエラーでまた1点。7回ぐらいになると、選手の中で泣き出すものも出て、もう野球にはなりません。この時の監督はかの早慶戦で勇名を馳せた河野安通志さんでした。

『早実野球部史』早実野球部OB会製作委員会(委員長 谷川峰雄)編より 

神戸二中 島津保雄

兵庫県代表神戸二中は第一戦で早稲田実業と対戦した。試合中、神戸二中の選手たちはもうひとつの〝敵〟に悩まされていた。当時、一年生で控えとしてベンチ入りしていた島津保雄さん(八七)は打ち明ける。「みんな守りを終えてベンチへ戻るたびに裏の便所へ駆け込んだんですよ。ものすごい下痢でね。前日に宿で食べた魚があたったらしい。下半身には全く力が入らんかった」。 結局、安打はわずか二本。2-0で負けた。当時の選手はすでに亡く、この秘話はいまでは島津さん以外に知る人はいない。
「朝日新聞 兵庫版」1988(昭和63)年06月07日付より

その他

田中隆三(三重四中)
 第1回大会の思い出は、初めて食べたシュークリームのことだ。京都でOBの三高生がおごってくれたが、食べ方がわからない。「ナイフで切ったら、クリームが飛び出してきたのでびっくりしました」 
谷口胖(三重四中)
 第1回大会では、伊勢神宮のお守りを帽子の裏に縫い込んでいた。白いモリスンでえり付きのユニホームは山田中(三重四中)だけ。恥ずかしかった。
置塩周(三重四中)
 十四、五人のチームだったが、「星に出でて、星に帰る野球生」。先生が当直日誌にこう記したほど、猛練習は有名だった。第1回大会の直前、病気になった正選手の後がまに選ばれた。
山田惣次郎(京都二中)
 「私らの時、マウンドは平らどした」。第1回大会で優勝する自身はなかった。「行きあたりばったりで」。感激は京都に帰って新たになる。オープンカーで市内パレードし、みんなバンザイ、バンザイといってくれた。「まるで、がいせん将軍どした」。
紀俊嗣(和歌山中)
 第1回大会は補欠でベンチ入り。2回戦、同校が見せた我が国公式戦初と言われるスクイズプレーの成功に一役買ったのが自慢だ。
高橋仁(高松中)
 第1回大会では、三塁を守った。正三塁手が大会直前に転向したため、本職の一塁から回った。「失点の半分がミスで、完敗やった。」
渡部純司(秋田中)
 「まあ、とにかくやりに行こうという気分でした」。渡部さんは第1回大会を回想する。当時、国鉄の羽越線もなく、「大阪は外国へ行くようなもの」だった。「勝つなんて頭になかった」。それが初戦で山田中(三重四中)に大勝、準決勝で早実を破った。「われながらびっくりでした。投手の長崎君のクロスファイヤーがきつく決まったからワセダも手こずってしまった」。決勝は破れた。「欲が出て泣きました。いまでもあん時勝っていればと思う」
田村豊(鳥取中)
 「うちの選手は打席にはいると、いったんホームベースの上に立った。投手がすぐに投げないかと心配だったんですよ」
小谷栄治(鳥取中)
 対和歌山中戦、リードしていた九回裏(実際は九回表)、スクイズ攻勢にあい、大量7点を奪われた。「スクイズなんて知らず、何が起きたかわからなかった」
植村照夫(広島中)
 「豊中グラウンドの外野は草ぼうぼうで、ボールをさがすのに一苦労だった」
中村隆元(広島中)
 大会第一号のホームランをかっ飛ばした。一塁手で左打ち、四番を打った。本塁打が出たのは大会初日の第一試合、鳥取中に大差をつけられて迎えた九回表だった。「真ん中の好球。夢中で振りました」。当時の豊中球場は外野にフェンスがなく、紅白の幕がはってあった。球は中堅手を超えて、外野の草むらをころころ。大会第一号はランニングホームランだった。
小田大助(広島中)
 「あのストライクがくやしくて」。第一回大会の第1試合で初めて打席に入った広島中の一番打者。始球式で村山龍平朝日新聞社長が投げた処女球を空振りした。いまなら形だけの「ストライク」のはずが、本当のストライクに数えられた。審判のミスだった。「審判には絶対服従と言われたけど、うらみましたよ。試合に負けたからなおさら」
林寿麿(広島中)
 大会の選手名簿では、広島中の中堅手は「林田寿」となっている。これが林さんだ。「おやじがうるさかったもんですから」。三年で正選手に選ばれて以来、「林田」の偽名で押し通した。「おやじも大阪へ行く時には知っていました。でも変更するのも変でね」。
藤吉直蔵(久留米商)
 和歌山中戦では脚気にかかり、三回までゲームに出たあと、ベンチに引っ込んだ。「くやしくて。しかも大敗でね。でもスコンク(零敗)でなかったのがせめてもの救いでした」。
朝日新聞1978年(昭和53年)8月6日付より


予選試合結果                                                                                         

東北大会(7月28日・29日 秋田県大曲町)
一回戦
秋田中 18-5 横手中
決勝
秋田中 23-0 秋田農
投 長崎 廣 不明
捕 渡辺 純司
遊 信太 貞
一 斎藤 長治
ニ 鈴木 粂治
三 小山田 雄一
左 羽石 統一
中 丹 市郎
右 野口 眞吉
東京大会(3月27日-29日 早大)
一回戦
早稲田実 5-4 慶應普
早稲田中 5-0 麻布中
日本中 4-2 立教中
荏原中 11-6 成城中
準決勝
荏原中 5-4 早稲田中
早稲田実 13-2 日本中
決勝
荏原中 000 031 010=5
早稲田実 112 000 22x=8
荏原中 早稲田実
三 小島 30打32 右 岡田
捕 小野 3安7 ニ 三川
投 海老塚 11振9 中 大野
遊 岡 2四5 投 白井
一 三平 1犠5 左 石崎
左 高城 4盗3 捕 佐立
中 横山 6失2 一 小池
ニ 斎木 遊 石井
右 高木 三 久保田



東海大会(8月11日-13日 冨田中学)
一回戦
三重第四中 4-1 岐阜中
豊橋中 7-6 愛知一中
冨田中 12-2 斐太中
二回戦
豊橋中 29-0 斐太中
三重第四中 15-3 冨田中
愛知一中 9-8 岐阜中
(二勝した豊橋中、三重第四中で決勝)
決勝
豊橋中 000 010 003 = 4
三重第四中 120 000 20x = 5
豊橋中 三重第四中
捕 牧野 33打34 捕 菊川
ニ 今泉 3安7 一 置塩
投 下山 7振7 投 西川
三 小栗 7四1 遊 沢山
遊 小野田 0犠2 左  堤
一 早川 2盗2 三 前納
左 馬場 6失4 中 田中
右 村井 右 菊川茂
中 久田 ニ 鷹森
京津大会(7月25日-29日 三高)
一回戦
京都五中 22-13 坂本中
同志社中 11-0 立命館中
京都師範 23-11 八幡商
二回戦
京都五中 11-2 滋賀師範
同志社中 10-6 京都師範
京都一商 13-2 京都美工
京都二中 棄権 京都一中
準決勝
京都二中 8-1 京都一商
同志社中 11-0 京都五中
決勝
同志社中 000 000 000 = 0
京都二中 001 103 00x = 5
同志社中 京都二中
左  辻 30打29 中  中
ニ 上田 3安4 ニ 内藤
投 片田 9振8 三 大場
遊 湯浅 1四4 投 藤田
捕 中川 0犠0 遊 津田
三 大口 2盗2 右 綾木
一  梁 8失3 一 西川
右 能勢 捕 山田
中 清水 左 野上




関西大会(8月7日-13日 豊中)
一回戦
大阪市工 12-5 八尾中
市岡中 4-2 耐久中
明星商 10-0 高野山中
和歌山中 16-0 大阪商
準決勝
市岡中 棄権 大阪市工
和歌山中 16-1 明星商
決勝
和歌山中 000 002 000 = 2
市岡中 010 000 000 = 1
和歌山中 市岡中
中 奥山 30打36 右 富永
遊 西村 2安6 投 中島
一 永岡 8振1 左 田中
捕 矢部 5四1 三 松野
投 戸田 0犠1 捕 松本
三 中筋 6盗0 ニ 町田
左 小笠原 1失0 遊 島道
ニ 小川錦 中 梅井
右 小川豊 一 石田
兵庫大会(8月3日-5日 関西学院)
一回戦
関学中 29-8 神戸商
御影師範 11-3 姫路師範
神戸一中 14-6 伊丹中
準決勝
神戸二中 6-0 御影師範
関学中 3-2 神戸一中
決勝
関学中 020 000 000 = 2
神戸二中 000 000 003 =3
関学中 神戸二中
一 松田 32打31 遊 田中
中 熊沢 2安4 右 藤原
捕 渡辺 6振1 左 児島
左 近藤 1四0 投 今村
投 頼広 1犠0 捕 橋本
右 菅井 2盗1 三 上村
遊 竹中 5失9 中 箸蔵
三 内藤 ニ 岸本
一 中川 一 村田




山陽大会(8月6日-8日 広島高師)
一回戦
福山中 9-2 明道中
広島商 10-2 関西中
準決勝
広島商 5-2 福山中
広島中 10-1 修道中
決勝
広島商 100 000 000 = 1
広島中 000 100 02x = 3
広島商 広島中
ニ 佐伯 18打25 ニ 小田
中 田川 5安7 遊 広藤
遊 柚花 10振9 中 村田
捕 児島 0四1 一 中村
投 石本 2犠1 右 増岡
一 世良 2盗2 捕 田部
三 阪本 2失3 三 倉本
右 天野 左  菅
左  菅 投  岸
山陰大会(8月3・4日 米子中)
鳥取予選
一回戦
鳥取師範 22-4 倉吉中
鳥取中 12-5 米子中
決勝
鳥取中 棄権 鳥取師範
島根予選
決勝
杵築中 9-3 松江中
二次予選((8月15日 豊中)
決勝
鳥取中 001 000 103 = 5
杵築中 100 001 000 = 2
鳥取中 杵築中
左 上田 35打31 三 達山
遊 竹岡 7安0 遊 山根
ニ 岩田 11振8 投 千家
投 鹿田 6四1 捕 奈良井
三 田村 一 福田
捕 松田 ニ  秦
中 中沢 中 児玉
右 小谷 右 猿木
一 松木 左 山根斎




四国大会(8月6日-8日 香川商)
一回戦
高松中 12-1 徳島商
丸亀中 5-3 徳島師範
大川中 10-6 三豊中
香川商 12-1 撫養中
準決勝
高松中 6-2 大川中
香川商 8-2 丸亀中
決勝
高松中 400 121 010 2 = 11   
香川商 100 032 021 2 = 11(棄)
※香川商の投手が疲労し棄権
香川商 高松中
右 鎌田 44打44 三 高橋
捕 島田 5安11 左 木村
三 本郷 12振1 遊 渡辺
一 山本 3四2 投 大西
ニ 杉本 0犠1 捕 加納
投 津川 一 中村
中 本田 ニ 岸田
ゆ 浜崎 右 懸川
左  脇 中 中野
九州大会(7月31日-8月1日 福岡商)
一回戦
中学修猷館 8-5 八女中
東山学院 11-2 嘉穂中
久留米商 2-1 中学伝習館
豊国中 8-2 福岡師
準決勝
久留米商 12-2 東山学院
豊国中 4-3 中学修猷館
決勝
久留米商 棄権 豊国中
※豊国中は決勝当日すでに二試合を行っていたため選手が疲労し三試合目となる決勝を棄権
久留米商
投 城崎
捕 田中
一 森崎
ニ 佐藤
三 藤吉
遊 片岡
左 本間
中 今里
右 内藤



その他データ
                                                                                         

賞品                                     .
優勝
・スタンダード大辞林(朝日新聞社)
・五十円図書切手(箕有電鉄)
・腕時計(朝日新聞社社長)
・銀製の優勝メダル

準優勝
・英和中辞林

1勝以上のチーム
・万年筆

参加賞
・銅製の参加賞

大会委員                                  .
審判長    荒木寅三郎(京大総長)

副審判長  福井松雄(京都高等工芸教授)
        平岡寅之助(日本製樽取締役)

委員     岡本英二郎(神戸高商学生)      井上市太郎(七高学生)
        折田有信(三高選手)           大井斉(元早大選手)
        吉田久雄(同志社大学選手)       大久保昶彦(京大学生)
        高山義三(京大学生)           高瀬義(早大出身)
        都築弥四郎(元三高選手・法学士)  奈良崎健三(元慶大選手)
        町田耕三郎(元三高選手・工学士)  松田捨吉(元早大選手)
        増田稲三郎(元早大選手)        小林精一郎(三高選手)
        小西作太郎(京大学生)         佐々木勝麿(元慶大選手)
        菊名寛一(大阪高?選手)          三木政太郎(関西学院高等科選手)
        平賀五郎(東大学生)           河野安通志(元早大選手)

今大会に出場したプロ野球関係者(判明分)                  .
本大会
・岡田源三郎(早稲田実)
・石井順一(早稲田実)

予選
・石本秀一(広島商)

出場した学校に在籍?
・高須一雄(同志社中)

各大会結果

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